Tsugayuki's Recollection

COMME des GARCONS HOMME PLUS、Photograph、JMSDF、KanColle、4LIFE.

続・とある昭和の風景

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 2月1日。

当初は1月いっぱいといった深刻な病状だったけれど、2月になった。

優子が生まれた月か。

限界まで痩せ切った感のある父であったが、この一週間で更に痩せていた。

生命維持ギリギリな感じの痩せ方な気がした。

薬の効きも短くなって来ているようで、効果が切れると吐き気が酷いらしく、正に実家に着いた時が、その状態だったので見ていて辛かった。

もう、そう長くはないと思う。

父曰く、長くて後10日だな、と。早く楽になりたい、とも。

 

写真は父が友人達と撮ったもの。

卒業式に撮ったとか言っていたけど、昭和37年1月15日と裏に書いてあったので、多分成人式に撮ったものだと思う。スーツ着てるからね。

上野と書いてあったので、場所は恐らく上野東照宮

 

この日は姪が学校帰りに駆けつけて、セーラー服+黒ストッキング+白カーディガンの王道ファッションだったので、迷わず激写した。可愛いね。

 

父は大分弱って来ているし、ベットから起きたり、椅子から立ち上がるのにも精神を集中してタイミングを図らないと体が動かないらしい。

が、意地でもトイレには自力で行く。

手助け無用、俺の体に触ってくれるな的なオーラが出ているのは、流石だなぁ。

居間で皆と会話をしているときの眼光が非常に印象的だった。上手いこと撮れたのは良かった。

 

帰り際に、俺にはもう必要ないから、と言って財布に入っていた一万円札を自分、妹、姪それぞれにくれた。泣けた。

泣くもんじゃない、と父。

姪にも勉強頑張りなさい、目一杯じゃなくて良い、少しだけ頑張れば良いんだから、と。

姪も泣いていた。母も妹も泣いていた。

お互い生きて合うのはこれが最後かもしれない。

悲しいけど、父に辛い思いもさせたくないしなぁ。

何があっても受け入れるしかない。

 

勝手な言い分ではあると思うが、先に逝った者の定めとして、優子が迎えに来てくれれば父もさぞ喜ぶと思う。

 

兄の願い、よろしく頼みます。